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2020年03月24日

なぜママを元気にしたいのか。それはね、こどもが幸せな人生を歩むため!その2

オハヨウゴザイマス。

写真館とスマホカメラの真ん中にいる
NICOの小箱 photo & lifestyleです
ブログにお越しくださりありがとうございます✨



前回の記事で「なぜママを元気にしたいのか」をとうとうと書きなぐりましたが
今日は、「それができないとどうなるか」というちょっと怖いお話(笑) 脅し・・・?


前回の記事 
https://niconokobako.hamazo.tv/e8757750.html



私がこの仕事を何かに取り憑かれたようにするワケ。
身をもって経験した「愛着形成がないとどうなるか」
をお話しします。



こどもの頃の環境

●父・母・父方の祖母・弟 の5人家族

ズバリ、とにかく姑が母に厳しい。よくある嫁姑問題ですね。
記憶のある3歳ごろから、母に甘えると翌日おばあちゃんの機嫌が超絶悪い。
嫌味を言われたりするので、 
身を守るために小学校くらいから
母をずっと無視してました。

母に酷いことを言った夜
お酒の飲めない母が大量にお酒を飲み
意識不明で救急搬送されたこと。

私のせいだって自分を責めましたが
小学生の私には毎日の抑圧の
逃げ場がなかった結果、
母に八つ当たりしたんだと思います。


父は無関心。
仕事に行って帰ってご飯食べてテレビ見るだけ。
私達こどもには、ユーモアある楽しい父でしたが
父がもっと家庭に興味もってくれたら
母はあんなに寂しくなかったかもと思います。

それでも、私自身は学校が好きだったし
ほかの家を知らないので、母に甘えられないことを
特別つらいとは感じていなかった。
おばあちゃんの顔色をうかがう気持ちの方が
強かったかも。

ここで、私の「人の気持ちに敏感な性格」が形成される




高校生活は仲間外れで単独行動


中学までは良い友達に恵まれ、
思春期の不安定さはありながらも
楽しく過ごせていたのですが、
高校で入ったグループに夏休み明けくらいから
仲間外れにされてしまった・・・

顔色をうかがう性格
何かしても文句を言わない


優しいね、と言われて
相談に乗ってた相手からの無視。
つらかったです。


それを見てほかのグループの子が「こっちにおいで!」と声をかけてくれたのですが
「大丈夫!」と断る・・・変な正義感?逃げちゃだめだ!みたいな心理が働いていたかも。

自分が幸せになることを自ら放棄


そのため、高校3年間は修学旅行もひとり行動で
ほかのクラスの目とか、すごく辛かった。

※ほかのクラスで同じ部活の子が
一緒にお弁当食べてくれたり
味方になってくれて、
それがあったから卒業できましたニコニコ




初の就職は半年でやめる

団体行動がめっきり嫌いになった私は
就職活動も気が進まず
在校中は仕事が決まりませんでした。

地元のハローワークで
温泉郷のホテルに就職できた時は嬉しかった!
そもそも、まじめでヤル気はあるので
仕事に困ったことはほとんどありません。
「日本一のホテルガールになる!」と 
張り切って働く毎日。楽しかったです。

が、高校の頃から付き合い始めた彼氏
(1こ下のためまだ学生)の束縛が結構きつくて
会えないだのどーのこーのでいつも喧嘩になり、結局半年後に退職

依存型恋愛で自分の意志(仕事)より恋愛を選ぶ




決めたら絶対やる!意志の強さで沖縄へ

それからも彼氏とは続き、
それなりに楽しく暮らしていましたが
あるきっかけで沖縄に興味を持ち
気持ちを抑えきれず、
沖縄の短期バイトの面接に東京まで行く。
→3ヶ月後永住を決める。
→彼氏と別れる。

今思えば、この意志の強さが私の転落人生をいつもギリギリのところで
引き留めてくれていた
気がします。

親にも反対されてたのにも気づかず(あとから母の日記見て気づいたw)

愛車に荷物全部載せて名古屋港へGO!19歳の時です。


もうわくわくドキドキしかなかった。





人生最大の暗黒期DV生活5年間

沖縄でできた彼氏と同棲をはじめたのですが、
ここからがすごかった!

●DV
●給料一日で使う
●消費者金融で借りて借金まみれ

おいおい・・・。
20代は本当に毎日生きた心地がしなかった。

地元の友達とも疎遠になり、お金はないし、
借金ひどくなって岐阜に半年出稼ぎにでたことも。
地元長野なのに!(笑)

それでも昼間はバイトと自由な時間だったので
バイト仲間と遊んだり(友達の家とか)絵をかいたり
沖縄の路地裏探検とかしてました。



そんな中で一度だけ「死んじゃおう!」って思ったことがあったのですが
両親の顔が浮かんでできませんでした。


こどもの頃、あまり好ましくない環境の我が家ですが
両親が私を愛していたのは伝わっていたし
私が死んだらお母さんが泣く・・・って思ったらできなかった。

その時、つらい人を救うのは「愛」しかないんだって20代前半の私は強く思いました。

その後、なんども「こいつ殺してやる」って思ったけど、できず(やらなくてよかったー)
最終的には浮気されて、別れることに。

なんじゃそりゃ!



彼と暮らした5年の間に一度だけ妊娠したのですがあっさり流産。
妊娠がわかった時、それでも嬉しかったこと、
もうこれでこの人と結婚しなきゃいけないんだ、
私の人生はもう期待できない、と 
覚悟したことを覚えてます。

でも、赤ちゃんはいなくなった。

きっと、私のためにいなくなってくれたんだって今でも思います。
親孝行の可愛い子おすましありがとう。




こうして、いじめやDVに苦しんだ20代までの私でしたが
今あらためて考えてみると、自分で引き寄せたこともたくさんあるなあと思います。

お友達と腹割って話すこともできた
ほかの友達のグループに入ることもできた
仕事を辞めない選択もできた
不安定な彼を見て「かわいそう、私が支える」と思ったのは共依存。
そもそも恋愛に依存型ってヤバイでしょ!



こどもの頃にちゃんと自立心・自己肯定感・危機管理能力、等々育てていれば
回避できたかもしれない。と思う。





なぜ、私の人生こんななの?と泣いてばかりいた時期もあったけど
今はこれを経験したからこそ、共感力が育ったんだなと思います。
辛かったぶんだけ、悩む人の気持ちが
痛いほどよくわかる。


これまで、こんな人生の私を支えてくれた人に
本当に感謝します。



今は家族もできて幸せに暮らしてますキラキラ

なぜママを元気にしたいのか。それはね、こどもが幸せな人生を歩むため!その2



DV彼氏とも25歳でお別れできたので巻き返しの人生のはじまりはじまり!

とはいえ、ここまでの毒素は根強くて
おばあちゃんの呪縛はもう少し続きます。
浄化するのに20年かかったよって話。

そして追い打ちをかけた暗黒期。
暴力反対!マジで。




次回は、その後、不妊・夫婦について書きたいと思います。


続きはコチラ
なぜママを元気にしたいのか。それはね、こどもが幸せな人生を歩むため!その3
なぜママを元気にしたいのか。それはね、こどもが幸せな人生を歩むため!その4





それではごきげんよう☆ミ

エールをもらうと頑張るタイプです。応援ヨロシクオネガイシマス。



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Posted by NICOの小箱 photo & lifestyle at 07:00│Comments(0)すべてのママへ
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